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​基礎教育学コースについて

コースの内容・特色

基礎教育学コースは,名前のとおり,教育研究の最も基礎的な部分を担当する専修/コースであり,広く「人文学的」と呼ばれるような方法で教育という対象にアプローチすることをねらいとしています。私たちのめざす教育研究がどのようなものであるのかを,以下簡単に紹介してみましょう。

ときどき,教育っていったい何なのだろう,などと考えることがありませんか。自分は教育を受けたことで本当に善い人になったのだろうか。教育を受けることで私たちはある傾向を持った人間へと改造されてしまったのではないのだろうか。そもそも教育には,学校やテストに代表される今のようなやり方しかないのだろうか。どうして日本の教育は現在のような混迷した有り様を示すようになったのだろうか……。

もっと身近に引きつけた問いも成り立ちます。なぜ名選手が名監督になれるとは限らないのだろうか。動物の調教と人間の教育は本質的に異なるのだろうか。どうして私は小学校のときいじめられたのだろうか。どうして勉強ができるひととできないひとがいるのだろうか……。こうした疑問をふと感じたこともあるでしょう。

どんな学問も,こうした素朴な問いが出発点となっています。そこから思索を巡らせて少しずつ少しずつ本質的な問題に近づいていくのです。その意味で,こうした問いを持つことこそ,教育について学び始めるのに不可欠な足場を提供してくれるといえます。

私たちの問いは,自分で定式化したものでありながら,同時に時代の刻印を色濃く帯びてもいます。たとえば近年,次のような問題意識を抱く学生が見受けられるようになりました—「教育と環境問題を結びつけて考えてみたい」「人間が深く生きるために宗教は必要ないのか」「自分っていったい何なのか,もっとつきつめて考えてみたい」「江戸時代って,意外と元気な時代ではなかったのか」「フェミニズムの観点からすると,これまでの教育ってどう見えるのだろう」「親として,教師として子どもをどう教育をしたらいいのか悩んでいる人たちに,私たちはどんなアドバイスができるのだろうか」……などなど。さまざまな人々が時代の中で取り組んできたことと関連づけた問いも浮上してきているのです。

本コースは,このような—もちろん実際にはもっと多様な—問いを持って,教育とか人間とかをもう一度ていねいに考えてみたい,という学生にはうってつけのコースです。また,教育にかかわることを勉強してみたいのだけれど,まだこれだという方向を絞りきれないという人にもぴったりだといえるでしょう。ともかく,教育や人間のことをじっくり考えてみたいという気持ちさえあればいいのですから。

私たちのコースでは,こうした問いを四つの方法で深めていこうとしています

一つは哲学的な方法です。哲学的な方法の基本は,様々な事柄に対して「……とは何か」「……はどうなっているのか」という問いを向けることです。「教育をよくするには,改革するには,どうすればよいのか」という問いは世の中にあふれています。これに対して哲学的な問いは,「よい教育」とは何なのか,「よい」と判断する規準は何なのか,に向かいます。このような問いかけは常識を問い直すことになりますから,その追究は容易なことではありません。そこで,こうした哲学的な問いをとことんまで追究した過去の思想や思想家の胸を借りる思想研究・思想史研究という迂回路をとる必要も生じることになります。

もう一つは歴史的な方法です。物事はそれぞれの歴史を背負って存在するのですが,その歴史的流れを明らかにして読み解くことで,今あるものがより深く見えるようになります。ときには外見とは相当違って見えてくることもあります。そこに歴史研究のおもしろさがあるのですが,そのアプローチをもっぱら教育にかかわる事象に向けるのが本コースの二番目の方法です。

三つ目は人間学的な方法です。教育とその担い手であり対象でもある人間を,人間諸科学の成果を摂取しながら,生きることの,特に人間が変化し生成していくことの意味と条件を考えていくという方向で研究しています。人間諸科学とは精神分析学,発達心理学,認知科学,文化人類学,言語学,精神医学などを連携させた複合領域の総称ですが,広義には環境学,宗教学,生命論,遺伝学,法学,経済学,政治学,公共哲学など人間と人間が作る社会を対象とする学問全般をも指しています。

最後に四つ目は臨床哲学的な方法です。教育というのは,具体的な場面で生じる生き生きとした出来事であり,意図や願いをこめて行なわれる実践です。したがってそこからは,想いどおりにいかない,願いが通じない,といった多種多様の具体的な問題が生じてきます。臨床哲学的な方法は,そのような問題がどのように生じているのかを,ある状況を「問題」と捉える側の構えも含めて解明することをめざします。そうした解明のためには,具体的な場面に自分も参与しながら,その場を生きている人間に即した臨機応変の応答と,人間の存在についての深い洞察が欠かせません。基礎教育学の領域では,この臨床哲学的な方法が教育の「現場」に最も接近する方法だといえるでしょう。

本コースは,こうした四つの方法をよりあわせ,響き合わせながら,独自の教育研究を目指しています。そこで大事にされているのは,わからないことをわからないといい合うことです。そうした姿勢を共有できる人は,ぜひ私たちの学びの輪に加わってください。

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コースの沿革

教育学研究科・教育学部の沿革はこちらから。

講座・専攻・コース編成の変遷はこちらから。



○文学部での講座開講から教育学科の発足まで。
1907(明治40)年10月

文学部に教育学研究室設置。吉田熊次が教育学講座を担当。当時は哲学科のうちの一講座であった。

1919(大正8)年2月 

教育学講座が5講座からなる教育学科へ拡充。第一講座は「教育原理の攻究を主と」するものと規定され、吉田が担当した。

1949(昭和24)年5月 

教育学部創設。教育哲学、教育史、教育社会学を含んだ領域として教育学科が発足した。
1951年(昭和26年)にはじめての学生を迎える。

〜教育学科(教育哲学・教育史分野)の開設当初の陣容〜

1951年~1952年 大田堯助教授、上村福幸教授
1952年~1953年 大田堯助教授、上村福幸教授、海後宗臣教授
1954年~1962年 大田堯助教授、海後宗臣教授、勝田守一教授

 

○通称「史哲」の誕生
1958(昭和33)年度 

教育学科が教育哲学・教育史を主とするもの(1980年度より教育哲学・教育史コース)と教育社会学を主とするもの(1980年度より教育社会学コース)に分かれる。

1964(昭和39)年度

大学院教育学専門課程が教育哲学・教育史専攻と教育社会学専攻に分かれる。(翌年度、教育哲学・教育史専攻が教育哲学専攻と教育史専攻に分かれる)

1987(昭和62)年度 

大学院教育学専門課程が教育学専攻に改称。

○大講座化、大学院重点化
1994年度 

学部の大講座化により教育学部教育科学科教育学コースに。教育社会学コースが独立した(比較教育社会学コースに)。

1995年度 

大学院重点化により学部(教育学コース)が教育学部総合教育科学科教育学コースに、大学院(教育学専門課程)が総合教育科学専攻教育学コースに。

○コース再編
2009年4月 

コース再編により基礎教育学コース発足。大学院が総合教育科学専攻基礎教育学専修基礎教育学コースとなる。

2010年4月 

学部が総合教育科学科基礎教育学専修基礎教育学コースとなる。 

 

再編に伴い、教育創発学コース(学部:学校教育学コース)の一部と教育学コースが合併した。教育学コースの教員と教育創発学コースの教員(中田基昭教授と金森修教授)の協議のもと、教育哲学/教育史/教育人間学/教育臨床学の4つの研究分野が置かれる。教育臨床学は教育創発学コースにおける授業実践学を受け継ぎ、より基礎理論的な方向へと発展させた分野として構想された。

○補足〜大学院生の自発的な活動と総合演習〜
1962年 研究室会議発足(大学院生が先頭に立って発足)
1974年 『研究室紀要』創刊(大学院生が中心)
1998年 総合演習開設。

参考:『東京大学百年史 部局史 一』『東京大学 教育学部六十年史』『東京大学大学院教育学研究科 教育学部60周年記念誌』

過去の所属教員一覧

​大田堯  (1949.08~1977.12)
上村福幸 (1950.03~1953.03)
海後宗臣 (1952.03~1962.03)
勝田守一 (1954.04~1969.03:  1958.04~1965.03 教養学部専任、教育学部併任)
仲新   (1962.12~1973.04)
堀尾輝久 (1962.04~1993.03)
宮澤康人 (1969.10~1991.02)
吉澤昇  (1973.04~1997.03)
寺﨑昌男 (1978.03~1992.09)
汐見稔幸 (1984.04~2007.03)
寺﨑弘昭 (1992.04~2002.03)
土方苑子 (1995.04~2007.03)
西平直  (1997.04~2007.09)
今井康雄 (2000.04~2013.03)
川本隆史 (2004.04~2015.03)
金森修   (2001.04~2016.05:  2009.04より基礎教育学コースの教員)

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